色々と面白い出来事があったなぁと思い出しながら日本へのお引っ越し準備をしています。
こちらでは一度引っ越しをしたのですが、まだ最初に住んでいたお家にいた頃のこと。
あるときお隣に引っ越してきた比較的若い中国人のカップル。
この方たちが3日に1回くらいの頻度で真夜中にケンカをするんです。
いつも夜中の12時頃になるとすごい大きな声で言い争いが始まります。
酷いときは明け方3時とかから始まります...。
とにかくものすごい声の大きさ。
普段から大きい声でしゃべるのに、喧嘩になるとさらに大声だからたまったもんじゃありません。
そのうち「ガシャーン」とか、「ダンっ」とか、「ドーン」「バターン」と何やら音が聞こえてきます。
どうやら物を投げ合ったり、物に当たりながら喧嘩しているようです。
アナナタチ、イマ一体何時かワカッテイルノ...?
しばらく喧嘩をしたあと、決まって旦那さんがドアをバターンと乱暴に開けて出ていきます。
一時間くらいすると毎回帰ってきますが、冬とか寒い中どこにいってるんだろう?
と毎回不思議です。
まだ小さいお子さんも一人いるのですが、「子どもを起こさないように静かに喧嘩する」とかできないみたいで、いつも騒がしいです。
あまりにひどいので管理会社に苦情を入れようか真剣に考えて、その前に中国人の友人に相談してみることに。
「あー、中国ではよくあることネ!私も喧嘩のときは物を投げるヨ。
でも、高いものとか壊れやすいものは投げないようにしてるヨ。あはは~。」
えー!
マジですか...。
「でも、後で片づけなきゃいけないし面倒くさくない?」と聞くと、
「うん、めんどくさいネ。めんどくさいけど、その時はそんなこと考えずに投げちゃうネ。」
私と話してるときはとてもおおらかな人なのですが、中国人同士で喧嘩となるとやっぱり日本人に接するのとはちょっと違うようです。
他の中国人の友達にも聞いてみました。
「あー、私の持ってるコンドミでも上の階の人毎晩喧嘩してるネ。中国ではよくあるヨ。頭おかしいネ。早く出て行ってほしいヨ。」と言っていました。
このお友達はいつも辛口です。
はっきりとモノを言うのが彼女のいいところですが笑。
彼女は物件をいくつか持っているので、今は別の物件をメインに住んでいるとのこと。
結構こういう風に派手にカップルで喧嘩をして物を投げる人は西安では多いようです。
ということで、管理会社に苦情を言うのはやめて、結局私たちが別のコンドミに引っ越しました笑。
中国人の人は怒りっぽいというか、喧嘩っ早い性格の人が多いのは食べ物や気候が関係しているのでどうしようもないところはありますね。
中医学的には、肝臓が疲れて本来の働きができないと体内の「気」が肩や頭に停滞しやすく、怒りっぽくなるとされています。
怒ることで上半身に停滞している「気」を発散させるように体が自然とバランスを取ってしまうのでしょうがないですね。
本人は「気」が上半身に停滞しているなんて全然気がつかないので、別の方法で「気」を発散させるということができず、身体のリアクションとして「怒って発散する」ようになってしまいがちです。
中国での生活は色々なことがありましたが、こうして日本以外の別の国に住むというのは新しい発見がたくさんあってとても勉強になります。
こちらに住んでいると、「騒音」なんて大した問題じゃないんだなぁと思ってしまいますし笑。
結局文句を言っても、
ココハ日本ジャナイデスカラー。
アナナタタチ何イッテルノ?
日本ノジョーシキハ通用シナイネ。
となるだけですので笑。
人間として寛大になれるというか、無理やりにでも大きくならざるを得ないというか…。
フィリピンに住んでいた時は、「家のドアを開けて大音量の音楽をかけ、夜通しパーティーしている下の階の人」とか、「明け方4時から向かいの広場で開催されるマラソンイベントのマイクテスト」とかありましたし。
それから「朝の6時の開店と同時に爆音のミュージックとともにパフォーマンスのダンスを踊り出すハンバーガーショップの店員たち」なんていうのもあったなぁ...。
あの頃の私は、「安眠妨害じゃ~!常識を知らんのか~!」なんてまだまだ修行が足りていなかったなんてしみじみと思ってみたりして。
ところ変われば…他の国でもそれはそれは色々です。
以前は私も「日本人基準」で色々と細かいことにピリピリしてしまっていましたが、フィリピンや中国、アメリカ、ニュージーランドなどその他の国を色々と見て、もっとおおらかになろう、何か問題や困難があればそれを乗り越えて大きくなるチャンスと前向きにあまりナーバスにならないように構えることができるようになりました。
だいぶ時間がかかったけど…。
中医学的にみても、イライラしたり怒ったりすることは血流を乱すとされ、血の温度も上げてしまうことになるので「瘀血」に繋がり寿命を縮めることに直結します。
どんなことが起ころうと、どっしりとおおらかに構えていられるよう、勉強させられた海外生活でした。